知的生産物は産み出すだけだとダメって話 〜東京オリンピック エンブレム騒動を鑑みて〜

メディアを賑わすだけの為に存在してるんじゃないのか?www
ってくらい話題ばかりの東京五輪

エンブレム盗作疑惑について考えてみる。

疑われたら負けだと思う

結論から言うとこれ。知的生産物にケチつけられたらほぼ終わり。「どこソースだよ?」「脳内だよ!!」が罷り通らない。ちゅらいね。

ミニマルな幾何学模様は類似する可能性大

ミニマルデザインが主流の昨今で「被らないもの」をつくるのは至極困難。ましてやアルファベットをベースにしたらパッと思いつくものなんて限られてる。

今回のなんて矩形と円とその切り抜きだけで出来てるもの。美しい配置パターンは出尽くしてると考えるべき。

安直な配色は類似する可能性大

配色も上記同様。

黒赤金なんてテッパンのパターンです。

どんな意図でこの配色にしたかなんて叩きにきたもの見てから後出しジャンケンで回答できる。

CMYK変えたところで「盗作だとバレないように」みたいな事言われるだけ。

リスクを把握して提案・採用したのか?

国際行事で世界中から注目されるような代物に、いくら練りに練ってまでも、類似する可能性のある配色とレイアウトのデザインを出すってことはそれ相応のリスクを孕んでいることを把握していたのか。いやー作る方も採用する方も考えてなかったんじゃね?と。

もしそのリスクがあると少しでも考えるのであれば国際的な商標の登録だけでいいのか?とか。まぁそれだけでも説得力はあると思うけど後出しだったからなーという印象。

デザイン難しい

盗作だったのかは知らん。どーでもいい。

ミニマルなデザインってのはそれだけでもとても難しいし、偶然だろうが盗作だろうが叩かれたらおしまい。世間の評価がすべて。それを踏まえてデザインってのはしなきゃいけないし、リスクを考慮して対策を練る。ただ作っただけでは足らないということ。


脳みそこねくり回してやっとひねり出したものは子供なのか排泄物なのか。その認識の違いなんだと思う。